近視・遠視・乱視・老眼について 



 直径約24mmの人間の眼は、自然な状態で5m以上の遠方にピントが合うように設計されている。 それよりも近くを見るためには、
  眼のレンズが像を結ぶ位置を変えなければならない。このとき、眼の調節力が働く。水晶体を厚くして、焦点距離を短くするのである。


  
 わずか数ミリの差で屈折異常が起こる。


 水晶体は瞳孔の真後ろにあって、その周囲には毛様体小帯という細かい繊維が張り巡らされている。
 毛様体小帯は筋肉を持つ毛様体に結びついている。
 この毛様体の休んでいるときの水晶体の厚さは3.6mm。
 水晶体がいちばん薄い状態で、眼のピントは5m以上の遠方に合う
 近くを見ようとすると、毛様体筋は緊張して太くなり毛様体小帯が弛む。
 その結水晶体が自身の弾性によって膨らみ焦点距離が短くなる。
 この仕組みは、光の屈折と収束に関する厳格な光学的原理に支配されている。
 レンズの大きさや形、それが置かれている位置に少しでも狂いがあれば、像が網膜上に結ぶことはない。
 例えば、水晶体が厚くなるといっても最大で4mmだ。無限遠から目の前20cmまでの連続的なピントの変化を、
 水晶体の厚みを0.4mm変えるだけで成し遂げているのである。眼の直径は約24mm、とミリ単位で言うことができるのも、
 その作りが精密で個人差が少ないからである。 
 数ミリ単位のサイズや形の違いが、これほど本質的で重要な意味をもつ器官は他には存在しない。
 この微妙なサイズのずれがもとで起こるのが、眼の屈折異常である。
 例えば近視は、眼に入った平行光線が網膜の手前で像を結ぶ屈折異常と定義されている。



  眼球が大きすぎる軸性近視には要注意。


 理論的にいえば平行光線とは、無限遠にある光源から発せられた光のこと。眼の場合は、およそ5m以上離れた物体から発した光を平行光線とみなすことができる。
 要するに、5m以上の遠くにある物体の像が、網膜の手前で結んでしまう状態が近視だ。
 網膜に映るのはピンボケの映像というわけだ。どうしてそうなるのか。その原因は大きく分けて2通りある。
 まず第一が、眼のレンズの屈折力が大きい場合だ。遠くのものを見ようとする場合、毛様体筋は完全に弛緩して細くなり、水晶体は最も薄くなる。
 この何もしないときの屈折率が高すぎて網膜の手前で像を結んでしまうのだ。
 したがって、遠くにピントを合わせることができない。このタイプは屈折性近視と呼ばれる。
 屈折異常の中でいちばん多いタイプで、普通は凹レンズをかけることで簡単に矯正できる。 
 第二が眼の奥行きが長すぎる場合だ。これは軸性近視と呼ばれる。 
 屈折率は正常で、本来の設計通りの位置に像を結ぶのだが、眼球が大きいため網膜がそれよりも後ろに来てしまう。 
 結果として、像が網膜の前で結ばれる。このタイプの近視は先天的なものが多い。
 眼球が大きい為に網膜が引っ張られ薄くなっている。
 そのためレンズで矯正しても視力が出にくく、網膜剥離などの合併症も起こしやすい。 
 専門医での診察が特に必要な近視だ。



 近くを見るように遠くを見てしまう遠視。


 近視とは反対に、眼の調節力を使わない状態で、平行光線が網膜より後ろで像を結ぶのが遠視だ。
 近視と同じく屈折性のものと軸性のものがある。
 遠視の場合は、眼球が小さいために像が網膜の後ろで結んでしまう軸性遠視がほとんどだ。
 遠視で問題となるのは、それが発見されにくいということである。
 調節力を使わない状態で平行光線が網膜の後ろで結ぶという事は、遠視の場合も遠くが見えないはずだ。
 ところが実際には、遠視の人は遠くのものをはっきり見ることが出来る。
 本来なら調節力を使わずに見ている範囲も、遠視の人は調節力を使って
 (水晶体を厚くして焦点距離を短くして)見ているからだ。おまけに子供は目の調節力が非常に高い。
 そのためかなり近くまではっきりと焦点を合わせて見ることができる。
 見かけ上は、屈折に異常のない人と変わらない視力を持っているケースが多いのである。
 しかし、実際には見えていても、常に非常に近い所を凝視しているようなもので、疲れやすく集中
力も続かない。
 さらにそのまま放置しておくと、視力も次第に低下する。
 特に子供が、目が疲れるとか、肩が凝るなどの症状を訴えたら、早い機会に専門医の検査を受ける必要がある。
 角膜や水晶体の歪や位置のずれが原因で起るのが乱視だ。
 角膜の中央部は球体だが、それが例えていえばラグビーボールのように歪んでいて、方向によって屈折率が違う。
 そのためにどこにピントを合わせても、全体がはっきりと像を結ぶ事ができない。
 目の前に屈折率の違う何種類かのレンズを置いたようなもので、それぞれに焦点を合わせようと交互に調節力を働かせる為に眼が疲れてしまう。
 これは軸の方向によって、屈折率の異なるレンズで矯正する。



 誰でも少しずつ老眼に近づいている 悲しいけど。。。


 年をとると気になるのが老眼である。
 遠くは見えるけれど、近くが見えないという症状のために 遠視と混同されやすいが、この二つは根本的に違うのだ。
 遠視は屈折率や眼球の大きさに問題があって起るが、老眼の場合はそこには問題がない。
 老眼で近くが見えにくくなるのは、歳をとる事によって眼の調節力が衰えるからだ。
 つまり、近くを見るのに十分なだけ水晶体を厚くすることができなくなるのである。
 調節力の衰え方は左のグラフのように、年齢によってほぼ決まっている。しかし悲観する事はなにもない。
 それは非常に若いときから始まり、徐々にではあるが確実に弱くなっていくものなのだ。 本を読みやすい限界はおよそ25cm。
 調節力の範囲がそれに及ばなくなることを、老眼と呼んでいるにすぎないのである。



 日本人になぜか圧倒的に多い近視、遺伝的要因はなんとたったの5%。

 

 チャールズ・ワーグマンというイギリス人がいた。横浜に住み、【ジャパン・パンチ】という日本の世相や風俗を風刺した漫画雑誌を創刊した人物である。
  政治家、官僚、学生、警官、労働者、働く女性・・・・。彼の漫画に登場する日本人の実に多くが、眼鏡をかけている。
  外国人の描いた漫画に、眼鏡をかけた日本人が登場しても別に珍しくもなんともない。
  たしかにそうだが、わざわざワーグマンの名前を出したのには意味がある。 
  彼が来日したのは、江戸時代。彼が見た眼鏡をかけた人々は、幕末から明治初期にかけての日本人なのである。
  100年以上も前から、日本人はすでに眼鏡をかけた民族、というレッテルを貼られていたのである。



  近視の原因の95%以上は後天的な生活態度にある。


 日本人には近視が多い。これは疑うべくもない事実のようだ。
 昨年の統計では、日本の高校3年生の実に58.79%が視力1.0未満、その内半数以上の視力は0.3にも満たないのである。
 なぜそんなに多いのか。
 少なくとも遺伝とか、体質的なものではなさそうだ。
 近視と遺伝の関係については、あまり研究が進んでいない。
 専門家の間でも意見が分かれるところだが、多く見積もっても純粋に遺伝が原因で近視となる割合は5%程度といわれている。
 過去の統計からもそれは明らかだ。
 文部省が学童の視力を調査し始めてからほぼ毎年のように増え続けていた近視の割合が、急激に減った時期がある。
 第二次世界大戦をはさむほぼ10年間である。
 対戦最中のデータがないためにその詳しい変動はわからないが、終戦後間もない1948年には、小学生から高校生の平均で、近視の割合が約5分の1にまで減少している。
 もし近視の主な原因が遺伝によるものだとしたら、この現象は説明がつかない。
 考えられるのは、この時期の子供たちは机に向かって勉強している時間が、その前後の時代に比べてかなり少なかったということだ。
 遺伝よりも環境なのだ。
 しかし、そのような例を出すまでもなく、受験戦争に象徴される子供たちのライフスタイルが、多くの近視を生み出しているであろうことは容易に想像がつく。
 こうしている間にも、近視の割合は年々増え続けているのである。



  日本人の眼を悪くした犯人は漢字?


 なにしろ“蛍の光”や“窓の雪”で、書物を読んでしまう国民性なのである。
 しかも読む物の多くは漢字で書かれている。
 漢字は他の文字に比べて桁外れに細かい。
 表意文字であるために、その数は膨大だ。
 細かい文字にはっきり焦点を合わせるには、不自然なほど長い時間、網様態筋を緊張させなければならない。
 子供時代には、たくさんの時間を漢字という文字を覚える為に費やさなければならない。
 26文字のアルファベットを覚えれば足りる英語とは大違いだ。
 しかし、もともと日本人はそうやって、勤勉に文字を覚え書物を読む事が好きな国民のようだ。
 意外に思われるかもしれないが、江戸時代の7歳から12歳くらいの庶民の子供にとっても、寺子屋に通って読み書きを習う事はごく普通のことだったのである。
 幕末期の江戸の寺子屋就学率は実は80%にのぼったという。
 子供が塾通いするのは、今に始まった事ではないのだ。
 したがって、日本人の識字率は昔から非常に高かった。
 江戸時代に繁盛した商売に貸し本屋があるが、江戸町民50万のうち約10万人は貸し本屋のお得意先だったという。
 いわゆる一般庶民が、娯楽のために大量の書物を読んでいた。
 彼らは、薄暗い行灯の光の下で、貸し本に読みふけっていたのである。
 近視遺伝の確率は かなり低い しかし近視になりやすい日本人の生活態度は、この時代からほとんど変化していないようである。